マグカップの裏

プログラムとか、思ったこととか、料理とか

入れ墨を入れてる人を見て思った、守られるべき対象

私はいわゆるオタクと言われる人種だと自覚している。 さほどディープな趣味ではなさそうだし、いわゆるこじらせている人たちとは違うかもしれない。

最近、オタクというのが認知されるようになって、昔ほどの迫害を受けている人はオタクの総人口に対して少なくなったように思っている。 私はかつてそういう趣味を持っている人たちは無意味に迫害されていて、守られていい存在だと思っていた。 だけど最近、少し考えが変わり始めている。

ウェイ系とオタク系

オタクの対照的存在としてよく使われるのがウェイ系って言葉だと思う。例えば、クラブとかで踊ってる人たちがそうだと思う。

先日、入れ墨をガッツリ両腕に入れて歩いている白人女性とすれ違った。海の向こうでは日本ほど、入れ墨を入れている人は倦厭されていないらしい。 一方で日本では未だに倦厭されがちだ。公衆浴場なんかは当然だし、プールも入れない。(僕はしょっちゅう入ってる人見かけるけどね。プールはまだしも、風呂とか監視のしようがないし) これっていいんだろうか。普通に、文化の違いで片付けていいんだろうか、と思った。 私は正直、入れ墨を入れている人は私とは相容れないウェイウェイした人たちだと思っているから、倦厭している。これ自体を悪いことだと思っていないし、改めるつもりも対してない。動機がないからね。

でも、社会的にそれをおおっぴらにNoって言っちゃうのって、どうなんだろう。 黒人用トイレと白人用トイレが別れてた昔のアメリカとかと同じ香りがしてくるよね。 まあ、入れ墨なんかより男性だけじゃ入れない飲食店とかできちゃってるのがそれはそれで・・・って感じだけど。

本当は、マイナーな人を受け入れられるほうが良いんだと思う。日本じゃ入れ墨は犯罪者が入れるものだったというのがあるから、そりゃ倦厭もされるだろうけど今もそうじゃないでしょ?と思ったり。

私が入れ墨を倦厭しているのは、単に自分とは相容れない人が入れてる場合が多いと思っているのと、単に気持ち悪いと思うことが多いからだ。アートで入れてようが気持ち悪いものは気持ち悪い。ピカソの絵だって、素晴らしいものもあれば気持ち悪いものもあらぁな、というだけの話。 ただそれ以上に気持ち悪いのが、親からもらった体に傷を~という論調だ。あれほど気持ち悪いのもそうない。 君が産んだわけでもないだろう、親と知り合いで価値観が共有できている?それとも全知全能の神にでもなったつもりかい?素直に気に食わないって言い給えよ、綺麗事で包んで知識人常識人ぶったりしないでさ。はっきり言えないなら、綺麗事で無理に相手に主張押し付けないで黙ってなよ。気持ち悪いっていうのはだめだけど、親にもらった云々は言っていいと思ってるんだろうか。

黒人や女性が差別されていた時代を超えたという背景からか、差別自体を問題視するという風潮はあるけれど、差別じゃないですよ、正論ですよと差も当たり前のように綺麗事で包んだだけの個人的嫌悪を押し付けるってのは嫌だなあと思った、というだけの話。