マグカップの裏

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重圧に耐えながら生きていく

#重圧グラビティ 人はどこかしらで重圧を感じているもんだ、と書いていてそうじゃないよねと思った。重圧を感じさせているのは自分なこともあり、外圧的なものとは限らない。 事実自分が今感じている重圧は自分が招いたことだ。自分自身が選択して、こうありたいと願い、こうあろうと行動し、こうあるべきと留まったからこそ今この重圧を感じている。

私自身がこの重圧に対して積極的に、この重圧を感じたいと思いここに来たわけじゃない。これは対価だ。あるいは、私の想定していなかったがゆえの失敗だ。

#対価と見なせるか 対価とみなして受け止めて、それをなんかしら、ただ受け止めるなり受け流すなりができればいわゆる成長とかいう表現をされる進歩になりうるんだろう。 今の私は対価とみなせているかが少しばかり怪しい。

かつては対価と見なす必要すらなかった。それを重圧とすら感じなかったからだ。だけど、日を重ねるごとにそうでなくなっていった。いつ自分自身の生活すら怪しくなり音信不通の髭もじゃホームレスになるかわからない。そう考えるようになっていった。 人生は選択の連続だけど、この連続する選択すべてに誠実に向き合うことができるほど僕はまだ人間ができていない。もしかしたらそういう人間はいないのかもしれない。

#今どうすべきなのか それがわかれば苦労はないのだけど、実際のところわかりかけている。 一番簡単かつ簡潔な方法は、酒を飲んで寝ることだ。どうせ明日には忘れている。 こんな文章を書いているけど、実際嬉しいこともある人生だと思う。僕を頼ってくれる人も、俺を忘れずにいてくれる人もいるわけだ。 私の中にある僕も俺も忘れずにいてくれる人もきっといるんだろう。 私自身が大事に思う人もいることだし、ある意味良い人生なんだろうけど、重圧はある。

ところで、今度BBQかキャンプに行きたい。誘ったら来てくれそうな人はどれぐらいいるだろうと数えている。